第21話

言語紛争(後編)

 中学校入学から数日が過ぎた。ボクたち"下町小学校"出身の1年生と彼ら"高級住宅地区小学校"出身の1年生は、まだ互いにけん制し合っていた。何せ両者の間には言葉の壁が立ちふさがっている。
 彼らの小学校では徹底した共通語教育が行われていた。その背景については、就職などで都会に出て行った子どもたちが、方言のせいで肩身の狭い思いをしないためとか、教育・経済その他を全国レベルに引き上げるための長期展望に沿ったモデルケースだとか、いろいろな説があるらしい。だが、ボクたちにはそれが壁をつくっていた。

tennsenn.gifのサムネール画像 部活の届け出締め切り日だった。奴は、その壁の向こうからいきなり現れた。「野球部に入部届けを出したら、すぐ戻っくっで待っちょれよ。逃ぐんなよ」。
ボクはあっけにとられた。奴が発したのは何とボクらの言語ではないか。
 彼は野球部への入部を済ませると急いで引き返してきたのだろう。息をハァハァ切らしながら、ボクシングのファイティングポーズでボクをにらみつけて言った。「あんまいふて態度をとっと、くらあすっど」。鹿児島弁が得意でない方のために翻訳すると『あまり大きな態度をとると殴るぞ』。小学校でしっかり言葉の教育を受けた標準語サイボーグのはずが、今はすっかり方言小僧になってしまっている。

 ボクも空手の構えで対抗しながら「オイがなよしたか!」(おれが何をした)などと鹿児島弁で言い返した。有段者である兄貴から手ほどきを受けた空手は、それなりに様になっていたのだろう。相手はパンチを繰り出すものの、本気では殴りかかってこない。パンチも蹴りも届かない間合いのまま、鹿児島弁の悪態だけは次々に浴びせてくる。
21-2-1.gif ボクは方言のパンチを受けながら、だんだん愉快になった。この状況がよくつかめてきたのだ。彼らは小学校で「きれいな言葉」の教育だけを受けている。喧嘩に使うような言葉は習っていないのだ。「君って生意気だね。態度が大きいと殴るよ」。こんな言葉じゃ喧嘩しようにも喧嘩にならない。腹の立つ気持ちをストレートに口に出したら、使い慣れた地元の言葉になってしまうのは当たり前だ。彼らも家では親たちと方言でしゃべっているはずなのだから。「今日はこいで帰っどん、あしたからは許さんでね!」。彼は捨てぜりふを残して立ち去った。


tennsenn.gifのサムネール画像 次の日は、これといって変化のない穏やかな一日だった。相手は特に目を合わせてもこない。それから1週間、2週間と過ぎ、担任の「のっぽ先生」の社会科やその他ユニークな教師たちの授業に笑い転げ、音楽の合唱では気持ちよく声を合わせ、体育のクラスマッチで力を結集するうちに、ボクらの間にあった壁はベルリンの壁よりいとも簡単に崩れた。
21-2-2.gif きれいな標準語をしゃべる女子も男子もいるにはいたが、次第にみんな方言へと戻っていった。学校から方言をなくそうとした人たちにとっては、まさに「悪貨は良貨を駆逐する」と嘆くべき事態だったことだろう。その人たちは忘れていたのだ。言葉は文化であることを。文化的な背景がないまま言葉を押しつけても、決して定着しないということを。
 ボクらが中学校を卒業する頃には男子のほとんどが鹿児島弁丸出しだった。しかし、一部の教育関係者が方言追放を画策しなくても、鹿児島弁はその後、衰退の一途をたどる。方言の駆逐にテレビが果たした役割も大きいが、地方の文化の消滅と方言の衰退は表裏一体をなしたのではないか。

 さて、対決が宙ぶらりんに終わった野球部の彼とは、いつしか冗談を言い合い、放課後一緒に買い食いまでする仲となった。高校は別だったが、時々集まっては青春の日々をともに過ごした。「○○健」。映画スターのような名前の奴だった。自分でも意識していたようだ。高校卒業後、就職した彼から届いた葉書。文面はこうだ。「いま俺は神戸で働いている。神戸の夜はネオンがまぶしいぜ」。こっちの方が顔から火が出そうだった。


  
次回は第22話 「バカは高い所に登る」




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