第18話

親父のラーメン

 子供の頃は嫌いだったのに、大人になった今では大好物。誰にもそんな食べ物の一つや二つはあるだろう。
 昔の食卓は実に質素で、おかずはよくて煮魚か焼き魚、それもサバかアジ、イワシと相場が決まっていた。これに野菜の煮物などが付く。こうした代わり映えのしない食事に比べると、お祝い用に家で作る「すし」や誕生日に作ってもらえるカレーライスは待ち遠しい「ごちそう」だった。それが今では、昔のごく日常の料理の方が「ごちそう」に思える。

tennsenn.gifのサムネール画像 「体にいいから」と言われてもいやでならなかったニガゴイ(ゴーヤー)を今は好んで食べるし、焼酎の肴には欠かせない。「また今日も...」とがっかりした煮魚も焼き魚も好物だ。猫より上手に骨だけ残してきれいに食べる。
 豚肉は高校を卒業する頃までダメだった。小学生の時に食卓に上ったスープが原因だ。器の中の豚肉は分厚い皮ごとぶつ切りにしてあり、その皮には黒々とした剛毛の剃り残しがブツブツ生えたまま。毛のない部分を選んで口に放り込んだがゴリゴリ硬く、またヌルヌルした食感が気味悪くて吐き出した。今なら「コラーゲンたっぷり」と飛びつく料理だろう。大人になって豚肉のおいしさを知り、牛肉より好きになった。
 鹿児島に意外と多いのが「鶏肉ダメ人間」だ。知人に何人もいる。鶏がらスープのラーメンは食べるくせに、焼き鳥はダメだという。ニワトリの姿を想像させるものは食えないらしい。彼らが「トリダメ族」に18-1.gifなってしまった原因は共通している。子どもの頃に見た光景がトラウマになっているのだ。
 鹿児島では昔、「ごちそう」と言えば鶏料理だった。祝い事用に、どの家でもニワトリを飼っていた。毎日エサをやって育てていれば情も移る。その"飼い鶏"が「ごちそう」にされる光景を見てしまった。その日以来、「鶏肉はダメ」となったわけである。
 ボクも家のニワトリが「ごちそう」になる入り口のシーンを見てしまった。おかげで子どもの頃は時々、首のないニワトリに追いかけられる夢にうなされはしたが、食べる方は大丈夫。焼き鳥もフライドチキンも好きだ。

 昔は白米が貴重だった。ご飯には大抵、麦が入っていたり、カボチャやカライモが入っていたりした。日曜日の昼は「ご飯」ではなく「団子汁」で済ますことがよくあった。小麦粉をこねて団子状にちぎり、だし汁や味噌汁に入れる。キャベツか白菜が少々浮かんでいる程度で、他の具はほとんど見当たらない。
 歯医者稼業が好きじゃなかった親父は、思いついては突拍子もない事業に手を染めた。大隅半島の山中で砥(と)石の採掘と加工を始めたこともある。世は高度成長のうねりの中。ステンレスの刃物が主流になろうとしている時に、砥石はないだろう。時代を見る目はなく、事業がうまくいったためしはない。
 その借金返済の工面に駆け回る母に代わって、長姉が朝夕の料理を作った。団子汁も姉の手料理だ。空腹を満たすだけの単純な料理だったが、今でもあのほのぼのと温かく優しい味は心と舌の記憶から消えずにいる。

tennsenn.gifのサムネール画像 今一番食べたいが、それは絶対にかなわない食べ物がある。親父が気まぐれに作ってくれたラーメンである。まだ前夜の酔いが残っている日曜日の昼など、興が乗るとやおら材料を集めさせてラーメン作りに取りかかる。
 若い時分から食い道楽だった親父は、外で食べるだけでは飽き足らず、自ら料亭を始めたり焼き鳥の屋台を出したりで、店を何度か持った。舌は確かだったかもしれないが、商売の方はからきしダメだった。料亭も最初のうちは繁盛したが、飲んでは自分の店で大暴れするものだから客はそのうち寄り付かなくなる。
18-2.gif その親父のラーメンは、学生時代に東京で親しんだ中華そば(当時は「支那そば」と呼んだ)や沖縄時代に覚えたスープ料理が混然一体となった独自の麺料理であって、敢えて例えれば塩ラーメンに近い。市販の麺を使うがスープは特製だ。鶏がらは鶏冠(とさか)の付いた頭も一緒に鍋にぶち込み、アクを抜きながら豚骨も入れてぐつぐつじっくり煮込む。透き通ったスープの味は絶品。何杯でもお代わりできた。

 親父が死んだ後、その味をしのんで姉たちに頼んでみたが、材料は同じでも親父のラーメンには程遠かった。
 ラーメンのうまい店があると聞けば、どんなに遠くても出掛けてみる。けれども、ボクが今まで食べたラーメンの中で親父のラーメンを凌ぐ味に出合ったことはない。シンプルで豪快だが、コクのある濃(こま)やかな味覚に引き込まれる。そんなラーメンをもう一度食べてみたい。


  
次回は第19話 働き者の町 



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