第13話

おやじの自転車

 ボクの親父は低所得者が身を寄せ合って住む下町の貧乏歯医者だった。鹿児島市のどぶ川「清滝川」のほとりに診療所を開き、家との行き帰りにはもっぱら自転車を使っていた。黒くて大きくガッシリした実用自転車だった。
 親父は肥満とは言わないが、胸板が厚く胴回りも太くて、その黒い自転車がよく似合った。
 親父が亡くなって、もう15年が過ぎた。実は歯医者という家業が嫌いだった親父は、何度となく他の事業に手を出してはいつも失敗し、借金をこしらえていた。それが貧乏歯医者たる所以(ゆえん)だ。

tennsenn.gifのサムネール画像 明治の末、加世田(今の南さつま市)に生まれた親父は訳あって祖母(つまりボクの曾ばあちゃん)に育てられた。本人は自分のことを「ぼっけもん」とも表現したが、後年聞いた話では幼い頃から喧嘩三昧で、村では札付きの「乱暴者」だったらしい。
 そんな素行とは裏腹に絵を描くのが好きで、画家を志していた。けれども祖母と自分の生活を援助してくれている歯科医の伯父との約束で、やむなく東京歯科医専(歯科大学)に進むことになった。
13-1.gif 夢を折られた腹いせもあっただろう。東京での生活にも乱暴者の本領が顔をのぞかせる。学生とは名ばかりで、夜な夜な色街に遊び、飲んでは地回りのヤクザ者と喧嘩に明け暮れた。
 いつしか連中にも一目置かれるようになり、新宿に程近い盛り場を縄張りに持ついっぱしの極道者に収まっていた。昼とは別の顔を持つ「学生やくざ」というわけである。
 喧嘩も刃傷沙汰がしょっちゅうだから、肩といわず胸といわず体中に無数の刀傷を帯びている。年を経てケロイドになって残る傷跡は当然ボクも目にした。夏の宵、もろ肌脱いで晩酌している姿には往年の凄みがあった。

 「学生やくざ」の噂は学内にも及び、教授陣は「退学でもさせようものなら何をしでかすか分からない」とおびえた。一刻も早く、しかも穏便に出て行ってもらうのが一番だ。卒業の判定会は一人の反対もなく合格。もちろんビリではあったが。
 親父は卒業後、約束どおり歯科医院を経営する伯父のもとへと沖縄に渡った。出発の日、見送りに来た兄弟分や手下のやくざ者たちは初めて"ボス"の素性が学生と知り、目を丸くしていたという。
 沖縄では歯科を開業する傍ら料亭も経営し、かなり羽振りは良かったが、敗戦で無一文になる。戦後、鹿児島で一から出直す羽目となったのだ。波瀾万丈。考えようによっては、この上なく幸せな人生だ。

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13-2.gif 小さな診療所は小学校の通学路にあった。患者の多くが日雇いの労務者である。口が悪くて、よく患者を怒鳴りつける歯医者だが、「先生、先生」と不思議に人気があった。
 放課後、遊び疲れて家に帰る途中、ボクはたまに診療所をのぞく。待合所の長いすに寝転がっているうちに、そのまま眠ってしまうこともある。
 「おい、帰るぞ」。
 親父に起こされ、眠い目をこすりながら親父の自転車の荷台に乗っかる。親父はくゆらしていた「ゴールデンバット」をもみ消すと、薬品のにおいのする診療用の白衣のまま黒い自転車にまたがりペダルをこぎだす。
 雨が降ると水たまりだらけのでこぼこ道だ。体はガコガコ宙に浮き、かたい荷台は尻が痛い。振り落とされないように親父の大きな背中にしがみついた。親父は何を話すでもなく、鼻歌まじりにペダルをこぐ。気分がいいと、いつもこうだ。家まではものの5分とかからない。尻は痛いが、ボクのお気に入りの時間だった。

 その後、日本の高度成長とともに我が家も少しは余裕ができてきた。自家用車も持てた。座席はフカフカで乗り心地もいい。だが、あの黒くごつごつした自転車の荷台がくれた「幸福感」を味わうことはなかった。
 
 
次回は第14話 量り売り 





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