第話
街は「生きもの」だ。どうしても、そうあらなければならないような「形」になっていく。そうあらなければならない......、つまりそこで暮らす人、そこで遊ぶ人、集まる人の望むような「形」だ。言葉を換えると、街になにを求めるかという、いわゆる「ニーズ」ということになる。私はこの言葉、あまり好きではないけれど。だって、そんなもの、くるくる変わるし、まともに対応してたらふりまわされるだけみたいな気がして。でも、実際に天文館で商売をしているひとはそういうわけにはいかない。その「ニーズ」をつかまえようと、「流れ」にのろうと必死に知恵をしぼり、工夫を重ね店をつくり上げているのだ。
その結果として、天文館から消えていくもの、消えていこうとしているものがたくさんあることに気がついた。それを私は「天文館絶滅種・絶滅危惧種」と呼ぶことにする。
簡単にいえば、ほんとうに「時代の流れ」の一言でかたづけられるのかもしれない。
話は飛ぶが、池波正太郎先生の傑作『鬼平犯科帳』の中には、今では見られなくなった店や商売が、その当時のスタイルでよく登場するので興味深い。「お雪の乳房」という物語の中にこんな一節を見つけた。
火盗改メ・同心木村中吾は、足袋屋善四郎の留守をさいわい、新堀端竜宝寺門前までお雪をよび出し、松月庵という[しる粉屋]で逢引をしていた。当時の[しる粉屋]というやつ、現代の[同伴喫茶]のようなもので、甘味一点張りと思いのほか、ところによっては男客のために酒もつけようという......松月庵の小座敷で早くも木村忠吾、桃の花片のようなお雪のくちびるを(後略)
(文春文庫版『鬼平犯科帳(二)』
「お雪の乳房」より)
「汁粉屋」「同伴喫茶」「甘味処」という言葉は聞かれなくなったが、そのもの自体、あるいはその機能自体は残っている。「汁粉屋」「甘味処」は「カフェ」となり、「逢引」は「デート」となり、「同伴喫茶」は「連れ込みホテル」「ラブホテル」を経て、「ファッションホテル」として生き残っているのだ。でもそこに「風情」や「情緒」というものが欠片も感じられない。つまり街から「風情」や「情緒」というものが消えゆくあるのだ。
「経営が成り立たない。廃業するか業態を変えるか、やってる方は必死なんですよ。県外資本もたくさん入ってきて、競争も厳しくなっているしね」
あるスパーマーケットの社長がこんなふうにぼやいた。
その「流れ」「流行」は、この街、天文館で生まれてきたものではなく、ほとんどが中央から持ち込まれつつあるものだ。この街の人びとは、それに対抗するためには、天文館を東京の繁華街のようにするのが一番だと思っているようだ。
私は思う。街というのはモザイクあるいはジグソーパズルみたいなもので、いろんな断片がうまく組み合わさって出来上がっているものなんじゃないだろうか、と。古いからもういいや、とか、売れないからもういいや、という見方、考え方ばかりで、ピースをどんどんすてていくと、街は成り立たなくなるんじゃないだろうか、と。
前置きが長くなったけど、そんな思いがあって、「天文館絶滅種・絶滅危惧種」ということを考えてみた。