第話
これはもう、「天文館絶滅種・絶滅危惧種」を象徴する一番手だ。
終戦を目前にした昭和二十年(一九四五年)六月十七日未明の空襲で、鹿児島市内の映画館はいったん全滅する。しかし、戦後復興とともに映画館も復活し、天文館の天文館を中心とした鹿児島市内の映画館数は、昭和三十五年(一九六〇年)に二十六館とピークを迎える。入場者数は前年の三十四年(五九年)に一万六千人を超え、これがピークとなる。その後、先にも触れたが、三十六年(六二年)に日活銀座劇場、日東劇場を火事で失い、以降漸減が続く。そして、二十一世紀に入り、残っていた映画館も一挙に閉館する。天文館での観客動員に見切りをつけた形だ。
■松竹鹿児島
平成十六年(二〇〇四年)五月閉館。跡地にはカラオケチェーン「コロッケ倶楽部」が営業している。
■鹿児島東映
平成十六年九月閉館。地蔵角近くのホテルニューニシノの一階にあった。跡地は使用されていない。
■シネシティ文化
平成十八年六月閉館。一時は競馬の場外馬券売り場誘致の話もあったが、結局はカラオケ業界大手の「カラオケ館」が全館で営業している。
■鹿児島東宝
平成十八年十月閉館。跡地はビジネスホテルが建てられている最中だ。
鹿児島市内に残っている映画館は、JR鹿児島中央駅ビルアミュプラザの「鹿児島ミッテ10」、与次郎のフレスポジャングルパーク「東宝シネマズ与次郎」の二つのシネマコンプレックスだけだ。
で、シネコンにして、効率的にスクリーンを稼動させ、観客動員は増えたのかというと、それは疑問だ。全国的な映画観客動員は横ばいが続き、各地でシネコン同士の統廃合がすすんだり、もともと競合する系列のシネコン同士が経営統合に踏み切る事例もあるという。
鹿児島の場合はどうかというと、天文館から映画館が消えたことを惜しむ声が多い一方で、シネコンは他の施設といっしょになっていて広い駐車スペースを確保しているから、まったく映画館のない地方の人びとが、マイカーで来館しやすくなったという歓迎の声もある。
余談になるが、ほとんどの人はその存在すら認めようとしないが、鹿児島市内で営業している単館の映画館はあるにはある。JR鹿児島中央駅横ベル通りのピンク映画専門館「旭シネマ」だ。掛けられてている映画は、巷に氾濫するストーリーも演技もないが、セックスだけはあるというAVではなく、浅くはあるがストーリーがあり、稚拙であっても演技はあるが、本当のセックスはないというものだ。若い頃にピンク映画のメガホンを取り、その後邦画を背負って立つ監督になったひとも多い。ピンク映画はひとつの表現芸術だというのが私の持論でもある。
現在、さまざまな人びとが「天文館に再び映画館を」と声を上げ、NPOなども立ち上げられ活動が進められているが、常設営業の映画館復活となると見通しは不透明で、それこそ「天文館に再び映画館を」という大きな流れを創り出さなければならない。つまりニーズだ。
ピーク時からほぼ五十年、半世紀という時間をかけて絶滅した映画館をふたたび復活させ繁栄させるには、情報のスピードが何倍もアップした「今」であっても、相当の時間と労力が必要だろう。これは大変な取り組みになるに違いないが、私は決して不可能だとは思わない。![]()
天文館の映画館消失を伝える
昭和36年3月24日南日本新聞朝刊